あの世とこの世に生きている
最近は安易にTwitterなどでつぶやいてしまい記事を書かなくなってしまいました。
文書いて頭使わなイカンな~と思い、最近感じてることをトボトボと書いてみたいと思います。
勘違いされそうなタイトルを付けてしまいましたが死後の世界の話ではありません、生きている間の世界のことです。
僕は人というのはあの世とこの世に生きていると思うんですよ。
この世というは物理的な現実の空間です。
いやいや、私はこの世にしか生きてないよと言う方もおられるかもしれませんが身近に僕の言う「あの世」は存在します。
それは脳の中です。
分かりやすい言い方をすると空想とか妄想とか寝るときに見る夢など物理的に存在しない空間です。
なのでいわゆる死後の世界の呼び方の「あの世」を広い意味で解釈して僕の言いたい「あの世」もなんとなく感じとってもらえるとうれしいです。
脳の中は電気信号でやりとりしているのであの世とは情報の空間と言えそうです。
なので現実の世界を五感を通して脳に入れる時、すべては電気信号になりすべては情報(データ)になってしまう訳です。
なので記憶とか経験はあの世のものです。
誰もがうれしかった記憶、誇らしかった体験、悲しかった記憶などなどあると思います。
で、それらの記憶を元にこういう行動をするとこんな結果になるだろうという膨大なデータベースが出来上がっています。
それが生きて行く上で意識的にも無意識的にもしている決断や選択や好き嫌いを決めていると言えないでしょうか。
例えば、子供の頃に犬に噛まれて痛くて「怖かった」ので大人になってもなんか犬は苦手だしあまり近づきたくないなど。
なんとなくこれって自我と言われるものっぽいですよね。
ここでポイントになるのが記憶と共に結びついている「感情」ではないかという気がします。
「感情」はあの世のもの、つまり脳内の情報ですよね。
つまりこの「感情」で良い悪いとラベル分けされた記憶が脳の中に蓄積されいるのではないでしょうか。
よくあの人は我が強いなどと言います。
そういう人って好き嫌いが激しかったり、頑固だったりします。
そういう人の自我、つまり記憶に結びついている「感情」が強固な気がします。
この「感情」というあの世のものはこの世のものを認識して脳内で情報化された瞬間に生まれます。
おそらく僕も含めほとんど人は瞬間的に生まれた「感情」によって、この世のものを自分の都合よく補正し正確に認識することが出来ないのではないかと思います。
この世のものを正確に認識出来ないまま何かしらの判断や選択をするといままでの自我が維持されます。
そしてより自我が壁が硬くなり我の強い人になっていくと思います。
我の強い人にはこの世が見えていない。
我の強い人はあの世に生きている。
もちろん一回きりの人生なのでそんな風に生きるのも自由だと思います。
でもこの世の色んな物を出来るだけそのまま見たいし聞きたいし触れたいと思いませんか?

